オーストリアの心理学者、
心の構造の話です。
心はいくつかに、わかれていると考えます。
まず、本能的なところを「エス」といいます。
この本能的な「エス」をコントロールする力のことを「超自我」(〜しなければならないなど)といいます。
「超自我」は、〜するべきである。〜してはいけない。〜しなければならない。と考える基本的に無意識的な存在です。
「超自我」(〜しなければならないなど)は、
本能的な「エス」との葛藤があります。
例えば、「本当はやりたくないけれど、やらなくてはならない」などです。
このように色々な葛藤を調節するのが、
「自我」の働きです。
「自我」は英語で「エゴ」ともいいます。
自我には「理想自我」など、他にもありますが
ここでは、
★「エス」(本能的なもの)
★「超自我」(〜しなければならない。)など。
★「自我」(エゴ)
で説明します。
いくら心理学を勉強しても、ストレスをためたり、対処に困ることはたくさんあります。人の心はとても難しいです。自分に言い聞かせるつもりでも、この記事を書いてみました。
「自我」は、現実と
本能的な「エス」と、
「超自我」(〜しなければならないなどの)の間で、バランスを取る存在でもあります。
心が正常に働いているときの「自我」は
自分で自分の内面を観察することができます。
さらに健康な「自我」は、
必要に応じて本能的な「エス」の満足をコントロールすることもでき、欲求不満に耐える能力も備えています。
そこで、たとえば不安、不快、罪悪感、恥などの体験があるとします。
そうした強い体験にそのままさらされると、
その強い力に、心は疲れ切ってしまいます。
これらから、心の安定を得るために、
「自我」は無意識的に対処しています。
基本的に、本人が、意識して対処しているわけではないのです。
その中のひとつに「防衛機制」というものがあります。
「防衛機制」はよい部分もありますが、困ったことを引き起こすこともあります。
「防衛機制」にもいろいろありますが、
ひとつとりあげると、「投影」という、自分の中にあるものを、別の人が持つものであると思う「防衛機制」です。
自分の中にある悪い感情が、相手の中にあるものと思うことです。
この「防衛機制」が働くと、自分が嫌いな人なのに、相手が自分を嫌っていると感じたりします。
このことからも、人は対処できないことがあると、それを受け入れようとするために、自分の気持ちを無意識に加工してしまうところがあります。
これは、自分の心を守るための「防衛反応」です。
私も、困ったことがあると、
「あの人は〇〇なのかしら。」「〇〇なのよ。」
などと考えることがありますが、それは自分の心を守る「防衛反応」であることがあります。
わかっていても、そのように考えてしまうことがあります。
「超自我」(〜しなければならない。)を優先する為に、本能的な「エス」を強く抑えてしまうと、
病気になってしまうことがあります。
例えば、神経症では、「超自我」(〜しなければならないなど)や、現実からの、しなければならないことを最優先させることが多いため、本能的な「エス」を強く抑えられ、その代りに病気の症状が形成されてしまいます。
つまり本能的な「エス」を満足させることはありませんが、何か他の形に置き換えて満足を得ます。
それによって生じたものが病気の症状となってしまいます。
不思議ですが、神経症になり、なんらかの神経症の症状を持つことによって、本能的な「エス」と「超自我」(〜しなければならないなど)との葛藤や、しっくりこない感覚を実感しないですむのです。
簡単にいえば、病気の症状でごまかしていると言うことが出来ます。
そこで、健康のためには、気楽な友人と会ったり、家族とくつろいだり、ブログなどに投稿して交流をもったり、なんでもいいので、リラックスして楽しめるような気持ちになることが大切になります。
それは、子どものような自然な気持ちになれることでもあります。
普段抑えている気持ちや、
感情が気楽に解放されることになり、
健康にとても大切なものです。
本能的に過ごすということですね。
子どものようになることは、
よいものと悪いものがありますが、
ここでは、健康的なよいことについての言及にします。
スポンサーリンク